うつ病

うつ病を発症する前は、うつとは心の甘えだと思っていた。メンタルの弱い人が、運悪く嫌な上司や出来ないことにぶつかり、発症するものだと。完全に心の病気だと思っていた。

 

よく、うつは心の病気ではなく脳の病気だ、誰にでもなりうる病気だと聞く。果たしてそうなのだろうか?うつ病はメンタルが鬼のように強いひとでも、突然脳のメカニズムがおかしくなり、発症するものだろうか?科学的、医学的根拠は全くないけれど、私はそうではないと思う。うつ病は、こうであるべきと決めつける完璧主義者や手を抜けない真面目な人に多いんじゃないかな。

 

丸岡いずみの本を読んだ。うつ病はだれにでもなりえる病気だと書いてあった。しかし、治るまでは本人の性格や考え方が関係してくるとあった。

 

うつを発症して3ヶ月。色んな薬を試して、合う薬に出逢えたと思えば「これは若い女性には良くない副作用が入っている」と言われ、辞めさせられた。

 

そして今、私は抗うつ薬は飲まず、抗不安薬だけを飲んでいる。抗うつ薬を急に辞めたからか、もうとにかく一日中しんどくて、以前最も辛かった時期の症状とよく似ていると感じた。

 

まず、朝起きると絶望的な気持ちになる。目覚めてしまった、今日はどうやって過ごそうか、どうやって乗り越えようか、と。昨日みたく、また辛い一日の始まりだ、と目覚めることが億劫で、叶うことならずっと寝たままになりたいと思うことも。

 

母が仕事に行くまではなんとかやり過ごせるけど、それ以降は地獄の始まりだ。とにかく寝て時間を潰す。うつ病が治る本を読んで、気づけば薬の効果とともに昼でも2~3時間は平気で寝付くことが出来る。これだけがまだ救い。以前は昼夜共に寝ることも出来なかった。

 

起きたら、また絶望。YouTubeを見ても集中出来ず、またうつ病が治る本を読む。それによると、やはり薬だけで治そうとしてはいけないらしい。生活習慣を変え、考え方を変える。難しいけど、一生このままは嫌だから出来ることは頑張る。

 

うつ病はただ何も出来なくなる病気じゃない。

プラスして、とてつもなくマイナス思考に陥ることが辛いのだ。

 

うつを治すには、とにかく休むことが重要、遠慮せずに日中からぐーたらしてください、と本には書いてあるけど、罪悪感に苛まれては仕方がない。なんで何も出来ないんだろう、なんで鬱になったのは自分なんだろう、なんで治らないんだろう、どうすれば治るんだろう、これからどうしよう。

 

ネガティブに考えることがダメなことくらい小学生でも知ってる。でもできない。何もかもの悪い所をつまみ上げて肥大化させる。

 

私は元々ネガティブ思考で慎重な性格だから、とにかくうつなんだ、休もうと割り切れない。ここがうつを治すに時間がかかるポイントなのかな。

 

私が大学を卒業するまでにどうすれば、寛解するのだろう。寛解は難しくても今の状態では学校に行くことも、卒論を書くこともしんどくて辛い。

 

答えのないこのうつ闘病生活に、手を差し伸べてくれるのは、来週から変わる薬と受けるカウンセリング。

 

この先どうなるのか、読者の皆さんも見届けて欲しい。

 

 

こうであるべき と考える癖

私には幼い頃から、こうであるべき と物事を決めつける癖があった。

 

例えば、運動部に入っていれば、明るい人

文化部(吹奏楽部を除く)の人は、根暗な人

こんな根拠の無い決め付けで、私は明るい人に見られたくて、運動部(テニス)に入った。

実際に入ってみたものの、運動神経が悪いため、練習についていけないことが多かった

部活動の始まりや終わり、試合先の挨拶では、番手順(上手い人から下手な人の順番)で並ぶことが決められていた。

私が位置していた場所は1番後ろか、後ろから2番目。テニス部は大体20人ほどいたから、出場者数に限りのある試合になどには到底出れなかった。

特に自分の意思でもなく、他人に明るい人と見られたいだけでテニス部に入ったけれど、実際は人には出来て、自分にはできないことの連続。番手順で並ぶと、隣の男子テニス部員には最下位とバカにされ、ますます傷つく。

私はなんでテニス部に入ったんだろう。

今思うと「こう見られたい」という他人軸で入部したんだ。

 

高校時代、何かしらの部活動には入らなくちゃ充実できない、と決めつけ、最初はELSとパソコン部に入った。

でもすぐにELSとパソコン部なんて陰キャじゃん、辞めてテニス部に入ろうと考えた。

あんだけ中学校の時に苦手だったテニス、もう向き合いたくないと思っていたテニスに、また格好だけで入ったのだ。

相変わらずそこでも団体戦に選ばれるメンバーなんかにはなれなかった。面白くない練習。頑張れない自分に嫌気がさして、今度は自分軸で辞めた。

 

私の高校は生徒数が多い方でもなかったから、辞めたらすぐに「あいつ、〇〇部やめたって!」と噂が広まるのは分かっていた。噂されたところで、大したことなく、それで終わる話なのに。でも、その時の自分はそんなことは気にせず、とにかく自分軸でやめた。

根性がなかったと言われればそこまでだ。でも、あれが人生で初めて大きな決断をした時かもしれない。

 

高校時代、他人軸で生きたもうひとつのエピソードといえば、友達だ。友達は選べる。合わないと思えば、それなりの距離を置けるし、合う人とは一生の友達になる人だっているだろう。

私はとにかく周りに、明るい人に見られたかった。だから、私のことをブスだとかデブだとか汚いとか臭いとかそんな酷い言葉を言われても、その子たちが明るく、学校のカーストで上の方にいれば、その子たちと一緒にいた。今思えばダサい話だが、当時はどうしてもイケてる人間になりたかったらしい。

 

その子たち以外にも友達が欲しかった。とにかく顔の広い、みんなに好かれて認められている人間になりたかったからだ。だから、次はカースト的に最上位から2番目くらいの層にいる友達と仲良くした。その子たちは、私のことを決して侮辱せず、話もかなり合って、心の底から楽しかった。

 

今、私は大学4年生だけど、カースト上位層だった(私をバカにしていた)友達とは誰一人連絡を取っていない。けれども、高校時代から居心地の良かったカースト上位から2番目くらいの友達とは今でも仲良く、遺産相続の話や親の死別の話までするくらいだ。

 

私が合わない友達といた時間や、そこに費やしたお金、合わないテニス部に入った時間や、そこに費やしたお金はなんだったんだろう。その時の私にとっては不必要なものだけど、意味をつけるとすれば、それらがあったおかげで自分らしく入れる環境に身を置く大切さを学んだと言える。

自分が一番気の使わない人と環境に身を置こう。大学生活ではそれがモットーとなり、4年間をすごしてきた。

 

もちろん、大学(学部)内にもイケてるキャラの人間たちとそうでないキャラの人間がいた。今まで私は、そうでないキャラの人達は幸せじゃないと決めつけていた。なんの根拠を持ってだろう。論理的になんて説明できない。けれども、大学のイケてないキャラの人達はそれなりに楽しんでいた。大学生にもなればイケてるキャラの人がそうでない人たちを見下す文化もなくなったからかもしれない。とにかくみんなが自分らしくいれるフィールドで、楽しんでいる。それが大学生活だった。

 

そもそも、私は大学入学前、大学生になったら友達100人はおろか、1000人はできるだろうと本気で考えていた。広く浅く人脈を作って、就職やその後も有利になるように...等。入学当初は合わない人とも無理やり一緒にいた。友達を多く作ったもん勝ちだと思い込んでいたからだ。だけど実際はほとんどの人に自分の心を開けなかった。これじゃ、高校の時とおなじ境遇になると気づき、早めに自分と合う人とだけいることにした。うじゃうじゃ人がいる大学の中で合う人とは4.5人程度。それでいいのだ。その人たちには自分の親の不仲話やうつ病の話まで深く狭く人間関係を築けた。

 

今後の人間関係はどうなっていくのだろう。ただ心に刻んでおいて欲しいことは、合わない人と必要以上にいる必要は無いということ。自分軸で物事を判断することだろう。

父親について

父は51歳。

私の人生において最も面倒な血の繋がりのある人間だと思う。

 

面倒ポイントは2つある。

 

1、とにかく浪費癖がすごい

つまりお金を貯める胆力が皆無なのだ。

母によると私が0歳の時、

生活費として貯めていた100万円を

父に渡すやいなや、数ヶ月でパチンコに使ったらしい。

その後も私が親戚から貰ったお年玉をパチッたり、母が生活費として毎月定額父から貰った分をパチッたり。

私が高校生になったくらいから

何度か1万円貸してと言われたことがある。

2021年は計2回。

1回目はもう返さなくて良いと諦めた。

2回目は最近。

今月24日に返されるらしいが、果たして返ってくるのだろうか。

1万円を子供から借りる親って、世の中に結構いるもんなんですか?

その1万円ってとこがポイント。

自分で稼いだお金はパチンコにすぐ消えるから、

車検や保険などのお金のいる肝心な時に手元にないのだ。つまり貯金はゼロ。一時期は銀行に借りていた時期もあったっけ。

とにかくそういう訳で、私の父親はお金があればあるだけ使い、計画的に貯金できない困るタイプなのだ。親の財産(土地や家)はすぐに使ってなくなるんだろうな。自分の老後はどう考えてるんだろう。

 

2、うつ気味

ぎみ、というよりもうつ病だ。働ける程度のうつ病。というか、仕事がないと、暇すぎて更に病んでいくタイプ。少し私と似ているんだよね。

とにかくネガティブ思考で、私に今まで「死にます」とLINEが来たことは3回あったっけ。

とにかく、前向きに考えられない性格ではない。病気なのだ。寝室の雑な心療内科に通っており、薬だけ貰って何とか不安をしのいでいるらしい。

まだ仕事に行ってるだけマシなのかね。。

 

ちなみに、父の職場はthe☆中小企業、製造業の部類に入り、残業代込で月30といったところだ。

が、しかしコロナで出荷量は落ち、プラス驚くことに工場が火災で全焼。今は再建に向けて仮の事務所で働いているらしいが、月20も貰ってない気がするし、ボーナスなんてゼロだ。

まあ父はどんだけ稼いでも、あればある分使う性なので、こんな話は飛ばしてもいいほどだ。

 

こういう訳で、とにかく金がないから心が貧しくなるタイプの生き方しか出来ない人で、困ったら妻に頼る。そんな24年間を過してきた父親。

 

今度は母親について語って、そのあとは父と母の関係について綴る。

 

ちなみに少し言うと、両親が仲良く話しているところを私は生涯見たことがない。昔は話せば喧嘩だったが、最近の会話は皆無。そんな両親は私が21のこのタイミングで、離婚しようとしている。

 

父のプライドとしては、父の父(私の父型の祖父)が亡くなるまでは建前として離婚できない。

母は一刻も早く父親と離れた生活がしたい。

こんな2人の話し合いは上手くいくのか。

そんなとこも含めて、私の数少ない読者には、このブログを楽しんで欲しい。

 

疲弊

2021年9月15日(水)

 

今日はココ最近で最も疲れた日だった。

何をしていたかと言うと、ただひたすらに何もせず、ベッドの上で携帯を見たり、昼寝をしたりだ。

 

どこに疲れる要素があるのか、と常人は思うかもしれない。

私も以前だとそう思っただろう。

 

でも、うつになって、、

うつになってからは、そんな当たり前なことをしていて、むしろ楽なことをしていても、辛いのだ。

 

自分は、なんて社会的生産性のないやつなんだ、

なんで21にもなって卒論のひとつも頑張れないのだ

どうして残り少ない学生生活を楽しめないのか、と自責を繰り返す。

 

うつになったのが正確にいつなのかは分からない。

 

気づけば、何をしていても(正確には寝ている時以外)、ずっと、ずーーっと心臓の当たりが硬直した感覚に陥り、不安感、緊張感があるのだ。

そしてなんにもやる気が起きない。卒論を進める、英語の勉強をするはおろか、ご飯を食べる、トイレに行くでさえも、ベッドから起き上がれないのだ。

 

そうなった原因なんて分からない。原因が分かれば、この世の誰もがうつになんてならないんじゃないかと思う。

 

どんどんとネガティブになり、自問自答を繰り返す。

ああ、私はなんのために今を生きているのだろう、と。

 

薬のおかげでよく眠れる。眠たくなくても目を瞑って1分も経てば、起きた時にはもう3時間後だ。

 

起きた瞬間にネガティブモードは全開。

起きてしまったことに対する失望。はなから卒論に手をつけるなんて諦めているから、何をして母親が帰ってくるまで待とうか、そんなことを考えてYouTubeを見たり、kindleのサンプル内で読書をしたり、ただ枕に顔を合わせてクヨクヨしたり。

 

とにかくそんなことをして、話し相手の母を待つ。

午後7時20分がどれほど求めている時間だろうか。

 

帰ってくれば、すぐに症状が回復する訳では無い。

昼間のうつ状態の余韻で、しばらくは暗い気持ちが続く。それでも安堵の気持ちも大きい。

 

母に抱きしめてもらい、話を聞いてもらって

寝床について現在午後10時21分。

 

今日は何時に寝れるだろう、明日はどんな一日が待っているだろう。

 

 

 

 

半夏厚朴湯

「半夏厚朴湯」

 

この文字を読める人は、医師か薬剤師、

若しくはこれを服用した経験のある人間だけだろう。

 

答えは はんげこうぼくとう と読み

これは喉のつかえ感や不安感を抑える漢方である。

 

私がこの半夏厚朴湯にお世話になり始めたのは、

2021年7月上旬。

 

忘れたがどこかの心療内科を受診し、貰ったことがきっかけだ。

 

そもそも心療内科を受診した理由は、なんの訪れもなく、極度の緊張感が身体中に走り、吐き気を催したからだ。

 

 

初めてその症状を体験したのは2021年6月。

 

大学四年生の私は就活に追われ、常日頃からありえないほどのプレッシャーとストレスを感じていた。

 

早く内定が欲しい、

先日最終面接を受けた会社から連絡が無い、

持ち駒(今後受ける予定の企業)を見つけるべきなのか、そもそも自分はコミュニケーション力がなく社会人として全く向いていないのではないか。

 

こんなストレスで常に切羽詰まった状況ではあった。

 

だが、6月中旬のある土曜日は違った。

 

身体中が緊張感で強ばり、食欲がなく、何にも手につけることが出来なかった。

 

今まで沢山のストレス事に対応してきたり、逃避してきたけど、今回は前例にない辛さ。

 

それはもう死ぬんだという確信が私の中にあった。

 

ベッドにしがみつき、ただただあの世へ行かないように顔を伏せ何も考えないことに意識を向けた。

 

「心が落ち着く曲」とYouTubeで検索しては、流した。が、効果は無かった。

 

 

私は学校の課題や受験勉強、部活動、人間関係、

バイト....今まで沢山のストレスを経験したことがある。

 

その度に友達にストレスの原因を話して発散したり、好きな映画やドラマを見て、ストレスそのものを忘れようとしていた。

 

そしてそれが出来ていた。

 

しかし今回ばかりはそれが出来なかった。

 

大好きなBTSを見てもTWICEを見ても余計に悪化しそうな気がしてならなかった。

 

これは就活が終われば、内定が貰えれば終わる辛さなんだ。

 

そう思い込んでとにかく耐えた。

 

精神科にかかるほど暇じゃないと思っていた。

 

その5日後には内定の連絡があり、ようやくストレスやプレッシャーから解放されたと思った。

 

そうだ、その時は確実に「就活」というストレスからは解放されていた。

 

もう前代未聞の謎の苦しさに耐える必要はなく、精神科に行く必要もなく、残り僅かの大学生活を楽しむ気でいた。

 

しかし、その2週間後、今度は電車に乗った時にパニック発作が出た。

 

外出先で吐きそう

 

これが私の最も辛い症状だった。

 

喉の当たりが今にもえぐり返されそうで

胃の中の物が人前で全て出そうな感覚に陥った

 

すぐに心療内科に行き、半夏厚朴湯と抗うつ薬をとらった。

 

半夏厚朴湯を服用して2ヶ月。

最近はほぼ喉のつかえ感はなく、吐き気もしない。

 

ただ憂鬱な気分になり、何もする気が起きず

自責の繰り返しだ。

 

今は抗不安薬で対応しているが、薬で治すだけでなく、生活面の改善で治していく方が望ましい。

 

どうか私から鬱っけがなくなりますように。