こうであるべき と考える癖

私には幼い頃から、こうであるべき と物事を決めつける癖があった。

 

例えば、運動部に入っていれば、明るい人

文化部(吹奏楽部を除く)の人は、根暗な人

こんな根拠の無い決め付けで、私は明るい人に見られたくて、運動部(テニス)に入った。

実際に入ってみたものの、運動神経が悪いため、練習についていけないことが多かった

部活動の始まりや終わり、試合先の挨拶では、番手順(上手い人から下手な人の順番)で並ぶことが決められていた。

私が位置していた場所は1番後ろか、後ろから2番目。テニス部は大体20人ほどいたから、出場者数に限りのある試合になどには到底出れなかった。

特に自分の意思でもなく、他人に明るい人と見られたいだけでテニス部に入ったけれど、実際は人には出来て、自分にはできないことの連続。番手順で並ぶと、隣の男子テニス部員には最下位とバカにされ、ますます傷つく。

私はなんでテニス部に入ったんだろう。

今思うと「こう見られたい」という他人軸で入部したんだ。

 

高校時代、何かしらの部活動には入らなくちゃ充実できない、と決めつけ、最初はELSとパソコン部に入った。

でもすぐにELSとパソコン部なんて陰キャじゃん、辞めてテニス部に入ろうと考えた。

あんだけ中学校の時に苦手だったテニス、もう向き合いたくないと思っていたテニスに、また格好だけで入ったのだ。

相変わらずそこでも団体戦に選ばれるメンバーなんかにはなれなかった。面白くない練習。頑張れない自分に嫌気がさして、今度は自分軸で辞めた。

 

私の高校は生徒数が多い方でもなかったから、辞めたらすぐに「あいつ、〇〇部やめたって!」と噂が広まるのは分かっていた。噂されたところで、大したことなく、それで終わる話なのに。でも、その時の自分はそんなことは気にせず、とにかく自分軸でやめた。

根性がなかったと言われればそこまでだ。でも、あれが人生で初めて大きな決断をした時かもしれない。

 

高校時代、他人軸で生きたもうひとつのエピソードといえば、友達だ。友達は選べる。合わないと思えば、それなりの距離を置けるし、合う人とは一生の友達になる人だっているだろう。

私はとにかく周りに、明るい人に見られたかった。だから、私のことをブスだとかデブだとか汚いとか臭いとかそんな酷い言葉を言われても、その子たちが明るく、学校のカーストで上の方にいれば、その子たちと一緒にいた。今思えばダサい話だが、当時はどうしてもイケてる人間になりたかったらしい。

 

その子たち以外にも友達が欲しかった。とにかく顔の広い、みんなに好かれて認められている人間になりたかったからだ。だから、次はカースト的に最上位から2番目くらいの層にいる友達と仲良くした。その子たちは、私のことを決して侮辱せず、話もかなり合って、心の底から楽しかった。

 

今、私は大学4年生だけど、カースト上位層だった(私をバカにしていた)友達とは誰一人連絡を取っていない。けれども、高校時代から居心地の良かったカースト上位から2番目くらいの友達とは今でも仲良く、遺産相続の話や親の死別の話までするくらいだ。

 

私が合わない友達といた時間や、そこに費やしたお金、合わないテニス部に入った時間や、そこに費やしたお金はなんだったんだろう。その時の私にとっては不必要なものだけど、意味をつけるとすれば、それらがあったおかげで自分らしく入れる環境に身を置く大切さを学んだと言える。

自分が一番気の使わない人と環境に身を置こう。大学生活ではそれがモットーとなり、4年間をすごしてきた。

 

もちろん、大学(学部)内にもイケてるキャラの人間たちとそうでないキャラの人間がいた。今まで私は、そうでないキャラの人達は幸せじゃないと決めつけていた。なんの根拠を持ってだろう。論理的になんて説明できない。けれども、大学のイケてないキャラの人達はそれなりに楽しんでいた。大学生にもなればイケてるキャラの人がそうでない人たちを見下す文化もなくなったからかもしれない。とにかくみんなが自分らしくいれるフィールドで、楽しんでいる。それが大学生活だった。

 

そもそも、私は大学入学前、大学生になったら友達100人はおろか、1000人はできるだろうと本気で考えていた。広く浅く人脈を作って、就職やその後も有利になるように...等。入学当初は合わない人とも無理やり一緒にいた。友達を多く作ったもん勝ちだと思い込んでいたからだ。だけど実際はほとんどの人に自分の心を開けなかった。これじゃ、高校の時とおなじ境遇になると気づき、早めに自分と合う人とだけいることにした。うじゃうじゃ人がいる大学の中で合う人とは4.5人程度。それでいいのだ。その人たちには自分の親の不仲話やうつ病の話まで深く狭く人間関係を築けた。

 

今後の人間関係はどうなっていくのだろう。ただ心に刻んでおいて欲しいことは、合わない人と必要以上にいる必要は無いということ。自分軸で物事を判断することだろう。