何事も捉えよう

 

人生は何事も捉えようによる

 

同じ嫌な事象が起きても、どん底に突き落とされるみたいに辛く感じる人と、そうでも無い人がいる

 

この世界は大変不平等だけど、気にしなかったり、プラスに変えて生きてる人もいる

一方で不平等さに不平を言い続ける人もいる

 

人間は弱い

 

基本的に危険を抑止するためにネガティブな考えを持つ

 

躁鬱の躁だけで生きることなんて無理なのだ

 

それでも人によって躁の割合が多いこともある

 

 

いつの間にか

 

いつの間にか

 

いつの間にか、奥歯をグッと噛み締めていた

 

いつの間にか、眉間にシワがよっていた

 

孤独感や寂しさ、虚無感

 

表しようのない感情に晒される

 

 

叶うことなら、残りの2ヶ月半、

お母さんとずっと一緒にいたい

 

お母さん以外の人じゃだめで、

 

お母さんにしか私の症状を治癒する方法がないみたい

 

 

そう思えてくる

 

そう思う度に、ああ、なんて自分は弱い人間なんだと自責する

 

この歳になってまで人の手を借りないと生きていくことが出来ないのかと

 

 

いつからだろう

 

いつからか、暗いトンネルの中にいて抜け出せない

 

本を読んだり、ヨガをしたり、瞑想したり、どこかに出かけたり、色々試したけど

 

少しは良くなってるのかな?

 

 

この病気になって初めて人生で後退したと感じた

 

それまでが順風満帆すぎたのかもしれない

 

今まで抱かなかった辛さを感じるようになり

 

日々お母さんが帰宅するまでのカウントダウン

 

これは学生に与えられた有意義な時間だと

 

思考ひとつ変えるだけなのに

 

それが出来ない

 

頭が重たくなって、動悸がする

 

不安が不安を呼び、感情の負の連鎖に陥る

 

どうしてこうなる?なにが原因?いつ治る?

 

そうして涙があふれる時がある

 

私はどうしたらいいのかな

 

ただこういう負の感情にも向き合って

 

時間が過ぎていくのを待つしかないのかな

 

 

 

囚われていた【インフタのフォロワー数】

 

 

囚われていた

 

 

私はインスタのフォロワーが多い方が

 

人生の勝ち組だという考え方に

 

囚われていた!!!

 

 

 

年末になると、なぜか何かを一新したくなる

 

例えば部屋を片付けたり、家具の位置を変えてみたり

 

普段はしないことをしたくなる

 

 

 

年末に断捨離や心の整理に急ぐ

 

整理すれば新年になれば一皮むけた気がするからだ

 

 

私が整理したのはインスタのフォロー・フォロワー様たち

 

人数が多ければ多いほど人望が厚い人間だと思われる

 

謎の概念に囚われていた

 

馬鹿馬鹿しい

 

本当は興味のない人のストーリーや投稿を見るのがきつかった

 

自分がほんとうにあげたいものをあげれなかったのがきつかった

 

 

つまり私にはインスタが向いてないのだ

 

他人の幸せに嫉妬し、他人の目を気にする

 

もう仲良い人だけの世界にしよう  

 

そう思い立ち、12月29日、インスタを刷新した

 

 

そうすれば、なんだ

 

とってもとっても心が軽い

 

今まであげたらうるさいと思われるんじゃないかと思っていたKPOP関連の動画をあげれる世界

 

本当に興味のある人たちの投稿しか目に入らない世界が広がっていた

 

 

見栄を張っていた自分から自分らしい裸の自分に変わることが出来たのだ

 

 

 

ただKPOP関連の動画は見て欲しい思いから鍵は外した

 

これも新しい試みだ

 

 

そう、私はあの日を境に変わったのだ

 

新しい私、これからもよろしく

 

 

 

 

 

 

 

不安障害

 

 

10月も後半。あと2ヶ月で2021年が終わろうとしている。

 

この一年は去年と同様、家にいることが本当に多かった。

 

いや、今年の方が家にいたかもしれない。

 

なぜなら、不安障害だから。

 

私は今年、生まれて初めて心療内科に行った。

 

インフルエンザにもならなかった私は今年、大量の薬を毎日飲んでいる。

 

原因は就活。

 

大学四年生はほとんどが経験すると思うが、今年の3月から6月後半までの4ヶ月間、毎日毎日自分と社会との戦いだった。

 

そもそも就活って企業や社会と戦うことなの?

 

私は何業界で何がしたいという希望がなかった。

とにかく年間休日数や福利厚生の良さそうな企業の説明会を聞き、その中の半分くらいにエントリーシートを提出、適正テストを受けた。

 

けど、何社も落ちて、中堅私立大学だからかな、目指すところが高すぎるのかな、自分の能力値が低いのかな等、毎回毎回落ちる度に自分を責めた。

 

ここで落ちた時に、見る目ないなあこの会社!くらいに思えるタフさは私には一切なかった。

 

純粋に悲しみ、何度もエントリーシートや面接内容を改善した。

 

一つひとつに時間がかかるタイプで20社ほどしか受けれなかった。

 

内定を貰えたのは2社。一つは売上高がマクドナルドを越す大手建設商社。もう一つは人事の対応が良かった物流業。

 

決めたのは後者だ。規模感としては前者の何分の1の企業だ。前者は営業、後者は物流センターでパートの人たちをまとめ、共に働くといった異業種具合。

 

決してこれがしたいと思って決めた訳では無いけれど、営業は精神的に病んでいたあの頃に選べる選択肢では無かった。

 

これからどうなるんだろう。この企業でいいのだろうか。マリッジブルーならぬ内々定ブルーに陥り、また地獄の就活を続けるか辞めるか悩んだ。

 

けれどもう精神の限界。

 

その頃の私は食欲がなく、ほぼ食べていなかった。少し食べれば嘔吐したこともあった。電車に乗るだけで、吐き気がして特急ではなく鈍行列車しか乗れなかった。

 

周りは内定を貰って遊んでいる、自分が悪いのか?ネガティブ思考のループに入っていた私の体調は絶不調だった。

 

そんな中、物流業の会社から電話があり、内々定を承諾。

 

晴れて就活から開放されたと思った。

 

けれどそれは違った。そこからまた別の地獄に苛まれることになった。

 

就活が終わって数週間は少しずつ回復しながら自分を取り戻していたけれど、今度は何もしていない自分に嫌悪感を抱くようになったのだ。

 

親は朝から晩まで働くのに私はアルバイトもしていない、大学の授業は週一限のみでオンライン。

 

ほぼ廃人のような自分に嫌気がさして、その気持ちはどんどん大きくなっていた。

 

バイトを探してなんとかしてその虚無感を埋めようと始めた。バイトをしている時は嫌悪感を埋めれたけれど、それ以外は地獄だった。

 

毎朝起きる度に「起きてしまった」という感覚になる。日中何をしていても自分は情けないやつ、何も出来ないやつなんだという謎のネガティブ思考が、慰めるポジティブな自分を悠々と先行していった。

 

眠る時が一番幸せだった。もう今日は何しなくていいんだ、そう思うと気が楽だったからだ。

 

私は母と暮らしているけれど母と話すのでさえ、できない時もあった。寂しいのに1人にして欲しかった。全てが怖くなり、外出もできなくなった。

 

バイトだけは絶対に行かないといけないという義務感があり、普通の振りをして、1度も休んだことは無い。

 

この人が変わってしまったんじゃないかと思うおかしい状態を対処する為に、心療内科へ行った。

 

全ての話を聞いてもらい、薬をもらった。

 

そこから何度転院しただろう。何度薬を変えただろう。

 

とにかく自分に合う先生と薬を求めて転々とした。

あの病院ツアーはかなりキツかった。

 

自分に合う薬を見つけた頃、よく効いた。

元気になって母からも顔色が違うと言われた。

 

あの心が凍る感覚、全てが怖くなる感覚が薬のおかげで、不思議とどこかへ行くのだ。

 

ただ、薬の副作用が強すぎることを伝えると、「じゃあ抜きますね」と言われ、抜かれた瞬間、また地獄へ舞い戻った。

 

薬がないと生きていけないんだ、もうこれ以上いい薬とは出会えないんだ。

 

何度、大声をあげて泣いただろう。売り場で暴れる子供のような声量で、自分の情けなさに泣き叫んだ。ベッドに這いつくばって、ホラー映画を見てるかのような声量で、絶望感に打ちひしがれ、泣いた。母に申し訳ないと思って、泣いた。

 

 

病院を転々とし、ようやく合う先生、合う薬(副作用の弱い、でも抗不安の機能は果たしてくれる)に出逢えた。

 

今はそれを飲んで、ほとんどその症状が出ることは無い。と言っても予期不安はまだまだあって、またあの地獄が来ないか、将来働く時にこうなったら会社を辞めないといけないんじゃないか、など常に薄い不安と戦っている。

 

不安障害になってから、ずっとずっと不安障害についてのYouTubeや本を見たり読んだりした。それをしてたら、症状が強く出た時はすぐに辞めた。

 

それでも、症状がマシな時は常に不安障害についてしらみ潰しに調べた。

 

調べて知ることによって、不安を取り除けると信じていたからだ。

 

あと自己肯定感を高めるために何冊も本を読んだ。

日光を浴びたり、ヨガをしたり、マインドフルネスをしたりあらゆることをした。

 

つまり今まで経験したことの無い苦しさに苦しみ、今まで意識したことの無いことを意識し、今まで考えも及ばなかったことを考え、挑戦するようになったのだ。

 

この不安障害は決してネガティブなものばかりではなかったのだ。

 

 

 

 

 

私の大学生活。

あと数回の授業。

 

大4の私は週一のゼミしか授業がないので

今日のを合わせて9回しか授業がないのだ。

 

そのうち、対面はきっと4回。

(10、11、12×2)

 

だけどもっと対面でもいいかもと思った。

 

対面だと金曜2限(10:45~12:15)になるんだけど、

やっぱりあの大学の雰囲気が好きだな。

 

あと数回しかない授業の中で、更に対面は少ない。

 

つまり、あの大学にお世話になるのはあと少しだけと考えると最近寂しくて仕方ない。

 

行きたかったあの大学のために勉強した日々。

格通知が来た日。

引越しするために母と一軒目の家を見回った日。

初めて一人暮らしをした日。

入学式の日。その次の学力テストの日。

大学の大講義場で聞く授業。

日々1限から5限まであって面倒だと言いながらも楽しんで参加した英語の授業。

ビザを取りに行った日。

留学のために旅立った日。

初めてホストファミリーに会った日。

異国の地で色んな体験をした日々。

帰国して家族で実家に帰った日。

また引越ししたり、旅行した日。

余裕のある大学生活を送りながらバイトに文句を言い続けた日。

勇気をだして応募したリゾートバイトの日々。

コロナ禍で学校に全く行けなかった3年生の日々。

一人暮らしから実家に帰ってきた日。

同じく4年生も楽しめずじまいで、終わりそうな勢いの日々。

 

ダメだ。もっと自分のアイデンティティを感じられる場所に行かなきゃ。

 

2限に対面があるから、帰ってからバイトでも大丈夫だしね。

面倒くさがらずに遊びに行こう。

お母さんに会いたい

お母さんに会いたい

 

こういうと母が他界したと思う人もいるだろう。

でも私の母は御歳50で存命中だ。

 

私は21でも母が恋しくて恋しくてたまらない。母が仕事に行って8時間離れるだけでも、何度母のことを考えて恋しくて寂しくなるだろう。

 

なぜ私が母にそこまで思うのか、それは母が私に与えてくれたものが大きいからだと思う。

 

幼い子供がお母さんと離れるのが寂しいのは、よくある事だけれど、21にもなってまだそこまで離れたくないと思うの?とおかしく感じる人もいるだろう。

 

私はうつ病になってから、母が死ぬほど恋しくなったのだ。

 

それまでは8ヶ月もアメリカ留学していた時は、会うどころか電話もせず声も聞かなかったし、一人暮らしも2年はしていた。確かに母のことは好きだったが、特に寂しい、今すぐ会いたいと思うことは無かった。

 

けれど、うつ病になってから母と少し離れるだけで心に咲いていた花が急速に枯れるように、活力を失い、心寂しくなる。

 

母はうつ病になってから、私のことを理解してくれ、沢山抱きしめてくれた。私が唯一頼れる人なのだ。

 

そんな人がいてくれるだけで私は幸せだ。

自分軸で生きる

 

今回のテーマは「自分軸」

たまに聞く言葉だけれど、ポジティブなのかネガティブなのか人によって受け取り方は様々だと思う。

 

私はうつ病になってから、とにかくこの「自分軸」を意識して生きている。

 

今まで人からの評価の為に、自分にも他人にも沢山嘘をついた。

 

本当にやりたいことはAなのに、人がBを選んだから自分もBを選んだことは何度もあった。物事の大小はともあれ、とにかく他人軸で生きた方が、つまり気を遣って勝手に他人に合わせる方が楽だと思っていた。

 

でも本当は全然違った。

自分の人生は自分で決める。たとえ些細なことでも、自分のやりたいこと、行きたい場所、食べたいもの、逆に嫌なことは素直に伝える。

考えの違いを受け入れてくれる友達に出会えたら最高だよね。私はそんな友達に大学で4人出逢えた。

 

例えば

仲良しの3人グループがいる。留学先が同じで色んな経験を共にしてきたからこそ、相手が何を求めて何を嫌がるのかが何となくわかる。

だから、それとなく旅先で2人と違う場所に行っても、決めた時間内に戻ってこれば何の問題もない。

そんな自由な感じなのだ。

 

うつ病であることを伝えている友達は、自身の母がうつだった経験から、よく理解してくれている。理由もなく苦しく辛く暗いこと、根性論じゃどうにもならないこと等、本当によく理解してくれている。だから、今日も明日の予定をドタキャンした(体調が優れないため)けど、ゆっくり休んでと声をかけて貰えた。内心は怒ってるのかな?それでもよく理解していると言葉で伝えてくれた彼女を私は信じる。

 

今日は地獄のような日だった。

詳しく言うと今日「も」地獄だった。

母が仕事に行ってからは孤独感に苛まれ、異常なまでの緊張感と、なにもやる気が起きない。

せっかく治りかけていたうつ病が、またふりだしに戻った気がして、とにかくマイナス思考が肥大化していた。バイトに行く前にColdplayのFix youを聞いた。英語が聞き取れるせいで、雰囲気だけで胸に打たれるだけでなく、歌詞にも泣けてくるのだ。家を出る10分前くらいから嗚咽をしながら大泣きした。

とにかく目を冷やして、泣いたのをバレないように務めた。

バイト中は集中すべき仕事があるからこそ、辛さは忘れる時だってあった。たまに思い出しては、1秒でも早く家に帰りたくなったけど。バイト先のおばさんが余計な事を言わないから、スムーズに終えることが出来た。

しかし帰宅後は今まで1人で戦ってきた気苦労や安堵感で嗚咽を出してまた号泣した。とにかく言葉で表すのがとても難しいほど、心が暗く辛く苦しいのだ。話したい内容は沢山あるけど、頭は回らないし、話す気力さえなかった。

エチゾラムという頓服を服用して1時間も経てば、何も無かったかのように平気になっている。薬のおかげだと思う。そして今これを書いている。

 

時一刻と変わる自分の体調や考え方に、自分が左右され、何が本当の自分か分からない。とにかく辛くてどうしたら治るの?とずっと繰り返す。身体と心が完全に分離していることを俯瞰しながら。

今後もそれは変わらないだろう。そうして戦い続けるうちに、何かポイントを掴めたらいいな。